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ゆきのじょうへんげ

雪之丞変化

三上 於菟吉

「朝日新聞」1934(昭和9)年11月~1935(昭和10)年8月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 344,083 字 · 673 页

青空文庫

そんなわけで、広海屋は、闇を辿りつつも、まだ、心のどこかで高をくくっていた。

――なアに、総檜、五百坪の普請とはいえ、店の一棟二棟、焼け落ちたとて、何を驚くことがあろう。うしろに建ち並んだ、蔵の中には、江戸中の、いかなる大名高家、町人一統が、どんな注文をよこそうとも、すぐ間に合うだけの材料は積んであるのだ。その十棟の土蔵は、コテを取っては、日本一といわれる左官が塗ったもの、どんな猛火も怖れることではない――

「さあ、しっかりせい! そなたも広海屋ほどのものの女房――高が、火事ぐらいに、身ぶるいをしてどうするのだ。そら、もう抜け道もおしまいだ。外へ出れば、明るすぎる程あかるくなろう――しっかりせい!」

そう女房をはげましつつ、地下道のどんづまりまで来て手さぐりで、揚げ蓋を起す枢機をまさぐるのだった。

一二

地下道の揚げ蓋を刎ね上げて、縋り合いながら、裏庭、築山蔭に出た広海屋夫婦。二人とも、その瞬間、瞳を射るあまりに猛烈な焔の色に、思わず目を蔽うた。

見よ! 眼前に聳えた広海屋本店の、巌丈堅固な大厦は、すでに一めんに火が廻って、吹き立って来た北風に煽られた火焔は、天井を焼き抜き、廂を匐い上って、今しも、さしもの大厦の棟が、すさまじい轟音ともろともに、がらがらと焼け落ちつつあるのだった。