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ゆきのじょうへんげ

雪之丞変化

三上 於菟吉

「朝日新聞」1934(昭和9)年11月~1935(昭和10)年8月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 344,083 字 · 673 页

青空文庫

二三

で、目の前に立つ、一人の男をみつめているのだ。

二人のからだは、遠くからわかるほど、ガタガタと戦慄し、ときどき、

「おおッ!」

「ううッ!」

と、いうような叫びさえ、咽喉の奥から洩れて来る。

二人の目がそそがれるあたりに立った人影は、年のころ、五十あまり、鬢髪はそそげ、肩先は削げおとろえ、指先が鉤のように曲った、亡霊にも似た男――

「おのれ! 三郎兵衛、ようも、子飼いの恩を忘れ、土部奉行や、浜川、横山、これなる広海屋と腹を合せ、わが松浦屋を亡ぼしたな――ようもようも、むつきの上から拾い上げ、手塩にかけて育てたわしの恩を忘れ、編笠一蓋、累代の家から追い出したな! おのれ、そのうらみを、やわか、やわか、忘れようか!」

と、一足、すすめば、

「うわあ! おゆるし下され、おゆるし下され、わたくしがわるうござりました」

と、長崎屋は、広海屋にすがりつきながら、手を蔽う。

「いっかな許さぬぞ!」

と、乾き、しわがれた、怖ろしい声がつづく。

「何をゆるされよう! 恋しい妻は、おぬしの手引きにて、土部屋敷にいざなわれ、くるしめにくるしめられ、舌を噛んで、死んだのじゃ――舌を噛んで――舌を噛んで死ぬ、痛さ、つらさ――どうあったろう、のう、三郎兵衛――おぬしの、今のくるしみは、物のかずではないわ――これ、三郎兵衛、おぼえたか!」