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しんしゅうてんまきょう

神州天馬侠

吉川 英治

「少年倶楽部」1925(大正14)年5月号~1928(昭和3)年12月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 511,765 字 · 1011 页

青空文庫

さすがの忍剣も、はたととほうにくれてしまった。

きのうまでは、甲山の軍神といわれた、信玄の孫伊那丸も、いまは雨露によごれた小袖の着がえもなかった。足は茨にさかれて、みじめに血がにじんでいた。それでも、伊那丸は悲しい顔はしなかった。幼少からうけた快川和尚の訓育と、祖父信玄の血は、この少年のどこかに流れつたわっていた。

「若さま、このうえはいたしかたがありませぬ。相模の叔父さまのところへまいって、時節のくるまでおすがりいたすことにしましょう」

かれは、伊那丸のいじらしい姿をみると、はらわたをかきむしられる気がする。で、ついに最後の考えをいいだした。

「小田原城の北条氏政どのは、若さまにとっては、叔父君にあたるかたです。北条どのへ身をよせれば、織田家も徳川家も手はだせませぬ」

が、富士の裾野を迂回して、相模ざかいへくると、無情な北条家ではおなじように、関所をもうけて、武田の落武者がきたら片ッぱしから追いかえせよ、と厳命してあった。叔父であろうが、肉親であろうが、亡国の血すじのものとなれば、よせつけないのが戦国のならいだ。忍剣もうらみをのんでふたたびどこかの山奥へもどるより術がなかった。