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しんしゅうてんまきょう
神州天馬侠
吉川 英治
「少年倶楽部」1925(大正14)年5月号~1928(昭和3)年12月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 511,765 字 · 1011 页
三
気をくさらして、疲れたからだをグッタリと草の上に投げあった。その顔へ、ブーンと虻がなぶってくる。
「ちイッ……」
と半助は舌打ちをした。
そのころ武田伊那丸は、ゆらゆらと駒にゆられて、大井川の上流、地蔵峠にかかっていた。
五人の屈強なるものが、その前後につきしたがっている。
この裏道をくるのにも、とちゅう、一、二ヵ所の山関があったが、小人数の関守りや、徳川家の名もない小役人などは、この一行のまえには、鎧袖一触の価すらもない。
山路の険しさはあるが、道は坦々、無人の境をすすむごとしだ。
武田一党のまえには、洋々としたひろい光明が待っているかと感ぜられる。見よ! もう大根沢の渓谷のあいだから、莞爾とした富士のかおが、伊那丸の無事をむかえているではないか。
立って地蔵峠の頂からふりかえると、もう三方ヶ原は遠くボカされて、ゆうべのことも夢のようだ。
あおい駿河の海岸線の一端には、家康の居城が、松葉でつつんだ一個の菓子のごとく小さく望まれる。
「さだめしいまごろは、あのむずかしい顔を一そうむずかしくしているだろう」
と思う想像が、みんなの顔に、禁じえないほほえみをのぼせた。