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しんしゅうてんまきょう

神州天馬侠

吉川 英治

「少年倶楽部」1925(大正14)年5月号~1928(昭和3)年12月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 511,765 字 · 1011 页

青空文庫

三

「おお、あすこが濠のさかい……」

咲耶子は欄によってのびあがった。昼ならばいうまでもなく、甲州盆地はそこから一眸のうちに見わたされて、帯のごとき笛吹川、とおい信濃境の山、すぐ目の下には城下の町や辻々の人どおりまでが、豆つぶのごとく見えるであろう。

が――いまは夜あけに近い闇。

澄んでいるとはいえ、月もどこかに、星明りでは、ただ模糊としたものよりほかに下界の識別がつかない。

しかし、彼女はそのうッすらとした夜霧の底から、やっと、この城郭の境をなす、外濠の水をほのかに見出したのである。そして、しばらくはそこへ、ジッと目をつけて、手の横笛をやすめている。

「まだ見えない」さびしくつぶやいて、なにかふかく思案していた。

「――高音をだして吹けば、夜詰の侍が眼をさますであろうし、いまの音ぐらいでは、あの濠の向こうへまではとどかぬであろうし……」

そういったが、彼女のまつ心に、それからまもなくポチと一つの明りがうつった。

北の石門にあたる外濠である。

霧ににじんでその灯影が蛍のように明滅していたかと思うと、その灯が横に一の字を描く。

「オオ」

と、彼女は、微笑をもって、それへはるかな注意をおくっている。