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しんしゅうてんまきょう

神州天馬侠

吉川 英治

「少年倶楽部」1925(大正14)年5月号~1928(昭和3)年12月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 511,765 字 · 1011 页

青空文庫

三

伊那丸は、神のような美少女の至情にうたれて、思わずホロリとあつい涙を袖のうちにかくした。

と、咲耶子はいきなり立ちあがった。

「あ――いけない」と顔いろを変えてさけんだ。

「なんです?」

と、伊那丸もその眸のむいたほうをみると、藍いろの月の空へ、ひとすじの細い火が、ツツツツーと走りあがってやがて消えた。

「あの火は、この裾野一帯の、森や河原にいる野伏の力者に、あいずをする知らせです。父は、あなたの逃げたのをもう知ったとみえます。さ、早く、この馬に。……抜けみちは私がよく知っていますから、早くさえあれば、しんぱいはありませぬ」

とせき立てて、伊那丸の乗ったあとから、じぶんもひらりと前にのって、手ぎわよく、手綱をくりだした。

その時、すでにうしろのほうからは、百足のようにつらなった松明が、山峡の闇から月をいぶして、こなたにむかってくるのが見えだした。

「おお、もう近い!」

咲耶子は、ピシリッと馬に一鞭あてた。一声たかくいなないた駒は、征矢よりもはやく、すすきの波をきって、まッしぐらに、南のほうへさしてとぶ――

三

それよりも前の、夕ぐれのことである。

夕陽のうすれかけた湖の波をザッザときって、陸へさして泳いでくるものがあった。