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しんしゅうてんまきょう
神州天馬侠
吉川 英治
「少年倶楽部」1925(大正14)年5月号~1928(昭和3)年12月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 511,765 字 · 1011 页
二
やや中ごろまでのぼってくると、道は二股に分れて右をあおぐと、石壁の堂に鉄骨の鐘楼がみえ、左をあおぐと、松のあいだに朱い楼門がそびえていた。燕作はひだりの朱門へさして駈けのぼった。
これこそ、有名な洛外天ヶ丘の朱門。
なんで有名かといえば、その門作りがかわっているためでもなく、風光明媚なためでもない。ここのいただきの平地に、織田信長の建立した異国風の南蛮寺があるからである。
まだ信長の世に時めいていたころは、長崎、平戸、堺などから京都へあつまってきた、伴天連や修道士たちは、みなこの南蛮寺に住んでいた。そして仏教の叡山におけるがごとく、ここに教会堂を建て、十字架の聖壇をまつり、マリヤの讃歌をたたえて、朝夕、南蛮寺のかわった鐘の音が、京都の町へもひびいていた。
しかし、本能寺の変とどうじに、異国の宣教師たちは信長というただひとりの庇護者をうしなって、この南蛮寺も荒廃してしまった。そして無住どうようになっていたので、秀吉は呂宋兵衛に、天ヶ丘へ居住することをゆるした。だが、南蛮寺をおまえにやるぞとはいわない。しばらくのあいだ、あれに住めといったばかり、要するに呂宋兵衛は、荒廃した南蛮寺の番人におかれたわけである。