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しんしゅうてんまきょう
神州天馬侠
吉川 英治
「少年倶楽部」1925(大正14)年5月号~1928(昭和3)年12月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 511,765 字 · 1011 页
ましてやいま、天下に一国の領土もなく、一城の知己もない伊那丸に、安全な通路というものがあろうはずはない。
おなじ敵地をふむものなら、忍剣のいうとおり、徳川家の蟠踞する東海道こそもっとも小太郎山に近く、もっとも地理平明である。では――と相談がまとまって伊那丸は藺笠の緒をしめ、忍剣は禅杖をもち直し、やおら、そこを立ちかけたせつなである。
頭のいただきから、山嵐をゆする三井寺の大梵鐘が、ゴウーン……と余韻を長くひいて湖水のはてへうなりこんでいった。と、一しょに――これはそもなに? 逢坂山の森をかすめて、ピューッと凧のうなるがごとき音をさせつつ、斜めにひくく、直線にたかく、そしてゆるく、またはやく旋回してきたあやしいものがある。――オ、舞いめぐる空の怪物! それは丈余の大鷲だ。
そのとき、暮れなんとする春の夕空は、ひがし一面を紺碧に染め、西半面の空は夕やけに赤く、琵琶の湖水を境にして染めわけられたころあいである。空にかかった大鷲の影も、遠き夕照りをうけて金羽さんらんとして見えるかと思えば、またたちまち藍色の空にとけて、ただものすごき一点の妖影と化している。