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しんしゅうてんまきょう
神州天馬侠
吉川 英治
「少年倶楽部」1925(大正14)年5月号~1928(昭和3)年12月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 511,765 字 · 1011 页
するとどこかで、びゅうッ――という風のような音がした。だが、樺の梢はゆれてもいなかった。野呂川のひびきにしては一しゅんである。いや、それは天地をゆく音ではなく、高いところをかすめた音響にちがいなかった。
「なにかしら? ――」
咲耶子はいそいで林をかけぬけた。
陣馬の高原には、さまざまな植物の花が、露をふくんで黒々と眠っていた。ここに立てば、昼は東の真正面に富士の銀影や裾野の樹海がひと目にながめられ、西には信濃の山々、北には甲斐の盆地、笛吹川のうねり、村、町、城下の地点までかぞえられる。
「耳のせいであったか、それとも、やはりただの風か? ……」
見まわした空には、なにものの影も見あたらなかった。ただ、しずかに黙している、月はある、星はある。
ふたたび、狛笛の音が高くすんだ。そして咲耶子が、われとわが吹く音色にじぶんをすら忘れかけたころ、さらにすさまじい一陣の疾風が、月のふところをでて、小太郎山の真上をびゅうッ――と旋回しはじめた。
「オオ!」
咲耶子は、笛を唇からはなして、高く高くうちふった。
「――竹童ではないか! 鷲! 鷲! 竹童の鷲よ――」
おどり立つばかりに叫んだが、すぐにまた、笛を持ちなおして、息いッぱいに、空へ向かって高らかに吹く。