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しんしゅうてんまきょう

神州天馬侠

吉川 英治

「少年倶楽部」1925(大正14)年5月号~1928(昭和3)年12月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 511,765 字 · 1011 页

青空文庫

もっとも、蛾次郎の身にとってみれば、甲府一城の安危よりは、この独楽一箇が大事かも知れない。だれか、かれを悪童とよぶものぞ。独楽を頬ッぺたに押しつけたまま、馬糧のなかにやがてグウグウ寝入りこんでしまったかれこそは、まことに、たわいのないものではないか。

だが、眼がさめると、こいつがいけない。

すぐにユダを発揮し、天邪鬼をまねる。

蛾次郎よ、永遠に寝ていろ、馬糧のなかで。

三

四更。

月も三更までを限りとする。四更といってはもう夜半をすぎて暁にちかいころ。

馬ぐさ小屋の中の高いびきは、定めし心地よい熟睡におちているだろう。お長屋の灯もみんな消えて、卜斎の家のなかも、主のこえなく、客の笑いもたえて、シンとしてしまった。

月のゆくえはわからないが、空いちめんはいつまでも、月の水いろに明るく冴えている。啼かぬ雁がしずかに渡る、啼く雁よりも啼かぬ雁のなんと秋らしいものかげだろう。

と――躑躅ヶ崎の館の高楼にあたって、万籟もねむり、死したようなこの時刻に、嚠喨とふく笛の音がある。

高音ではないが、このすんだ四更の無音界には、それが、いつまでも消えないほどゆるく流れまわって、すべてのものの眠りをいっそう深くさせるようであった。