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しんしゅうてんまきょう

神州天馬侠

吉川 英治

「少年倶楽部」1925(大正14)年5月号~1928(昭和3)年12月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 511,765 字 · 1011 页

青空文庫

「では、追い立てるようではあるが、ここの館は召使どもも多いことゆえ、夜明けをまって一刻もはやく嵯峨へお身を落ちつけあそばしたほうがよい、麿から阿闍梨どのへ、しさいに頼み状を書いておきますでの……」

こういって晴季は、千鳥棚の硯筥と懐紙を取りよせ、さらさらと文言をしたためだした。ところがいつになく筆がにぶって、書いているまに頭脳がボーと重くなり、さながらムシムシとした黒い霧に身をつつまれているようなだるさをおぼえてきた。

はッとして、こころを冴え澄まそうとした。そしてなにげなく見まわすと、まえの人は端然としているが、ふたりの従僧は坐しながら、われをわすれていねむっている。

「奇怪な!」

晴季はクルクルと手紙をまいてゆだんのない目をみはった。とたんに、三人の僧たちも、なにかいいしれぬ魔魅の気におそわれているのを知って、無言のまま、ジロジロと部屋のすみずみをみつめ合った。

しかし、短檠のかげ、棚のかげ、調度のもののかげのほか、あやしいというものの影は見あたらない。

「では……」

と晴季は、したためた手紙を僧の手にわたした。――とはるかに、ガラガラと戸をあける音や、人声のザワめきや、また牛車の轍、鶏の声など、夜明けを知らせる雑音が、入りまじって、かすかに聞えだしてきた。