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しんしゅうてんまきょう

神州天馬侠

吉川 英治

「少年倶楽部」1925(大正14)年5月号~1928(昭和3)年12月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 511,765 字 · 1011 页

青空文庫

三

その清冽は十五間ほどの幅がある。

濠の向こうはなまこ壁の築地、橋のあるところに巨大な石門がみえ土手芝の上には巨松がおどりわだかまっている。松をすかしてチラチラ見えるいくつもの灯は、館の高楼であり武者長屋であり矢倉の狭間であり、長安歓楽の奥殿のかがやきである。

二年前には、そこに、武田一族と伊那四郎勝頼の座をてらす燭があった。

十幾年かまえには、そこに、機山大居士信玄の威風にまたたいている短檠がおかれてあった。

いまはどうだ?

ながるる濠の水は春秋かわりなく、いまも、玲瓏秋の宵の半月にすんでいるが、人の手にともされる灯と、つがれる油は、おのずから転変している。

ものおもわしき秋の夜。

龍太郎はなにげなくそこに眸をあげて、さっと露をふらす濠ばたの柳に背すじを寒くさせたが、その時、ふとはじめて気がついた一個の人かげが向こうにある。

どこの百姓の女房であろうか、櫛巻にしたほつれ毛をなみだにぬらして、両袖を顔にあてたまま濠にむかってさめざめと泣いているようす……

月あかりを避けているが、やつれた姿がかげでもわかる。年は三十五、六、質朴らしい木綿着物、たくさんの子供をうんだ女と見えて、大きな乳が着物の前をふくらましている。